僕の音楽で人生が変わるほどの衝撃を受けた
という人が出てきたら嬉しいですね

公開日:2017.12.06
  • 東京藝術大学音楽学部在籍 ピアニスト・作曲家 山中惇史 さん
  •     音楽
今回は東京藝術大学音楽学部に在籍しながら、ピアニスト・作曲家として活躍する山中惇史さん(27歳)をご紹介します。

岡崎市で過ごした音楽漬けの青春時代を経て作曲家への道へ

東京藝術大学在学中に脚光を集める山中惇史さん。作曲家として活動しながら、ピアニストとしても日本を代表する音楽家たちとの共演も果たしています。ときおり見せる屈託のない笑顔が印象的です。
「音楽との出会いは保育園のとき。お昼寝の時間に流れていたクラシック音楽が大好きになって、先生にダビングしてもらったのをきっかけに、毎日のように聴くようになったのです」
ご両親が音楽に詳しかったというわけではなく、幼い頃から専門的な音楽教育も受けていたわけでもなかったそう。純粋に音楽が好きだった山中さんは、小学生になると町のピアノ教室に通いはじめます。
「楽譜を見るのが大好きだったんです。ピアノ教室にある楽譜を片端から見ながら音楽を聴いていたら、自然と楽譜が読めるようになっていました。いま振り返ると、ちょっと変な子ども時代だったかもしれないですね(笑)」
“好きこそものの上手なれ”を地で行く山中さんは、中学校ではオーケストラ部でヴァイオリン、高校では吹奏楽部で打楽器を担当しながら作曲のレッスンを受けるなど、まさに“音楽漬け”の青春時代を岡崎市で過ごします。
「両親が音楽に詳しくなかったことが逆によかったのかもしれません。あれもこれも与えられるわけではなかっただけ、自分から貪欲に求める気持ちが育まれましたから。そんなふうにして、どんどん音楽の魅力にはまっていきました」
高校時代に作曲家への道を目指すことを決めた山中さんが、東京藝術大学へと進路を決めたのも「尊敬する音楽家のかたの多くが東京藝術大学出身だったから」と自然な流れだったと言います。

「大学時代の音楽家たちとの出会いが僕を成長させてくれました」

山中さんは東京藝術大学の音楽学部作曲科へ入学。たくさんの出会いに刺激を受ける毎日だったといいます。
「超一流の音楽家でもある先生方が直接指導してくれる。そんな体験が強烈な刺激になりました。あの演奏家ならどんな演奏をするだろう、そんな想像を楽しみながら作曲を学べたのは大きな経験です」
大学在学中、大学院へと進学した頃に、日本を代表するヴァイオリニスト・漆原啓子さんから、「一緒に演奏しませんか?」という誘いを受けました。それを機にピアノ演奏のオファーが増えたといいます。
「作曲家が演奏するピアノの音色はピアニストが演奏する音色とは違うんですよ」と教えてくれた漆原さんの言葉が山中さんの背中を押してくれたそうです。それと同時に、これまでピアノを専門的に勉強してこなかったというコンプレックスを感じるようにもなりました。
「そんな中で出会ったのが尊敬するピアニストの(作曲科出身の)江口玲さんでした。“ピアノを勉強するなら、いましかないよ”と言ってくださいました。それで、大学院を卒業後に、器楽科ピアノ専攻へ入学してピアノを勉強しようと決心しました」
現在大学院を卒業後、同大学の器楽科ピアノ専攻へと入学。現在はピアノを学ぶ毎日を送っています。

作曲家として岡崎市への楽曲提供も数多く行う

「岡崎市立翔南中学校校歌」、「JR岡崎駅イメージソング」など、岡崎市への楽曲提供も精力的に行っている山中さん。「高校まで過ごした岡崎は、両親がいて友だちがいる特別な場所」と話す山中さんは「いつか岡崎に戻ったら、子どもたちに音楽を教えたいですね。本気で音楽をやりたい子どもたちがいたら、僕も本気で(笑)。そんな音楽教室をいつか岡崎でできたら」と岡崎への想いを語ってくれました。

「僕自身、幼いころに聴いた音楽に惹かれて導かれてきたので」

作曲を糀場富美子、安良岡章夫、鈴木純明各氏に師事し、大学在学中より漆原朝子、漆原啓子、清水高師、寺谷千枝子、ピエール・アモイヤル、三縄みどり各氏と共演、委嘱を受けるなど、ピアニスト、作曲家として活動してきた山中さん。編曲の分野においても担当したアーティストはクラシックからポップスまで幅広く活躍しています。また、作曲家・ピアニストとして参加した各CDはレコード芸術誌にて特選盤、準特選盤に選出されています。スケール大きく、成長を続けている山中さん。夢はまだまだふくらむばかりです。
「将来は、僕の音楽を聴いて人生が変わるくらいの衝撃を受けたという人が、一人でも現れてくれたらいいなと思っています。僕自身が、幼いころに聴いた楽曲に導かれて、音楽の世界にはいっていったわけですから」
山中さんが作り上げる音楽に、これからも期待し続けたいと思います。