住みやすくてスポーツにアツい。
こんなにいい街、他にありません!

公開日:2019.01.04
  • アスレティックトレーナー 後藤勤 さん
  • 駅伝にかける市民の情熱 岡崎市民駅伝
世界陸上に2005年から2012年まで日本代表チームトレーナーとして帯同し、2012年ロンドンオリンピック陸上競技で日本代表トレーナーを務めた腕利きのアスレティックトレーナーである後藤さん。現在も桐生祥秀選手(日本生命)のトレーナーとして活動を続けるなど、多くのプロアスリートを支えつつ、「針院さとうTSSケアルーム岡崎」院長として治療を行っています。
美合町に生まれ育った後藤さんに、岡崎の魅力を教えていただきました。

自然豊かな岡崎で遊び回った少年時代

後藤さんは岡崎市立緑丘小学校、岡崎市立竜南中学校のご出身です。子どもの頃の思い出についてお聞きしました。
「小さい頃の思い出と言えば、六斗目川(ろくとめがわ)に行ってザリガニや魚、亀などをとって遊んだり、友達とサッカーや野球をしたりと、学校が終わったらずっと外で過ごしていました。今と違って、外に持ち出すゲーム機なんてありませんでしたから、バットとボールを持って外に飛び出していくのがお決まりでした」
思い出の味は、母の手料理と「五平」の五平餅
後藤さんにとって岡崎での思い出の味と言えば、真っ先に思いつくのは「母の味」だそう。
「高校卒業後、中京大学へ進学し豊田市で一人暮らしを始め、その後も専門学校、師匠のところで住み込みで修業、と実家に戻ることがなかったので、岡崎での懐かしい味と言えば母の料理が一番に思い浮かびます」

「あともう一つ、梅園小学校の近くの『五平』の五平餅は、我が家の定番です。小学校の頃から親父が好きで、よく康生町に行った帰りに買って帰りました。電話で予約をして焼いておいてもらうと、すぐに持ち帰れるので便利なんですよ。10年前に父が他界したのですが、命日などには好きだった五平餅をお供えしています。今でも時々食べたくなって、買いに行っていますよ」
個性的な店構えの「五平」の五平餅は、今も昔も、後藤さんご家族にとって大切な味なんですね。

岡崎市民駅伝が、私の原点

2017年9月9日、後藤さんがトレーナーとしてサポートしてきた桐生祥秀選手が、日本人初の100m9秒台、9.98秒という大記録を達成したことは、皆さんの記憶にも新しいことでしょう。後藤さんがこの仕事に就いたきっかけは、どのようなことだったのでしょうか。「アスレティックトレーナーになり、オリンピックを目指すという夢を抱いたきっかけのひとつは、岡崎市民駅伝(※正式名称は、岡崎市民駅伝競走大会)でした」と後藤さんは語ります。

「小学校、中学校とバスケットボール部に入っていて、冬には駅伝部にも所属していました。岡崎市民駅伝を目指して練習し出場する経験を通して、陸上競技に可能性を感じ、転向することにしたんです。岡崎北高校へ入学し、陸上部に入部。高校時代は長距離を走っていて、最高順位は県大会での11位でした。でも、2年のときに腰に怪我を負い、インターハイ予選にも出られず引退し、とても悔しい思いをしました。

その時、いろいろな治療院で診てもらった経験があり、そこでトレーナーという仕事があることを知りました。ちょうどバルセロナオリンピックや、東京で第3回世界陸上競技選手権大会が行われていた頃で、『アスレティックトレーナーとしてスポーツ選手を支え、最高峰の場所であるオリンピックに行ってみたい』という夢を見つけたんです。それから無我夢中でいろいろな経験を重ね、20年を経てロンドンオリンピックで夢を叶えることができました。岡崎市民駅伝に参加しなければ、この夢を持つことも、叶えることもなかったでしょう。自分にとって岡崎市民駅伝は夢の原点であり、アスレティックトレーナーとして活動する原動力のひとつなんです」
岡崎は住みやすい街、そしてスポーツが盛んな街
現在も、プロアスリートの合宿や試合に帯同したり、大学や専門学校で講師を務めたりと、多忙な日々を送る後藤さん。国内外に出かける機会が多い後藤さんにとって、岡崎の街はどんなふうに映っているのでしょうか。
「岡崎は、ほどよい田舎。手が届くところに何でもあって、住みやすい。こんないい街、ありませんよね? 車でどこにでも行けて、移動も便利だし。東京や名古屋は遊ぶには楽しいですが住むのは岡崎がいいですね。」
東京や海外で仕事をすることはあっても、「地元に腰を据えて、治療院を続けたい」という気持ちが強かったという後藤さん。その理由のひとつは、岡崎市民のスポーツにかける情熱に共感しているからだと言います。
「岡崎は、とにかくスポーツが盛んです。岡崎市民駅伝もありますし、多くの学校は小学校4年生から部活が始まるなど、小さい頃から勉強だけでなくスポーツにしっかり取り組んでいるのが特長。だからこそ、地元で治療を行い、小学生から大人まで、岡崎でスポーツをする皆さんを支えていくことが自分の使命だと思っています」

古い文化も残しつつ、発展した街へ

後藤さんに、岡崎の未来像についてお聞きすると、こんな答えが返ってきました。
「これから岡崎では、ますます開発が進んでいくのだと思いますが、自然や古い文化も残しながら発展していってほしいですね。昔ながらの食堂や和菓子屋さんなど、古くていいお店もたくさんありますから。子どもたちが遊べるような緑が多い場所も残しつつ、より便利な街になっていったらうれしいです」
岡崎のアスリートたちをサポートしていきたい
後藤さんは今、どんな夢を持っているのでしょうか。そう質問すると、後藤さんは笑顔で答えました。
「もちろん、『チーム桐生』の一員として、東京オリンピックでの100m決勝を目指すということは、具体的な目標のひとつです。それと同時に、地元・岡崎での治療をひとつひとつ丁寧に行っていきたいと思っています。岡崎でスポーツをする方々が、それぞれの目標に近づけるよう、少しでも力になりたい。世界トップレベルのアスリートの体に触れてきた自分だからこそできることを、地元にどんどん還元していきたいですね」
陸上界の最先端で活躍しながら、岡崎の未来のアスリートを支える後藤さん。これからの活躍に、ますます期待が高まります。
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岡崎市民駅伝

岡崎市民駅伝

スポーツが盛んな岡崎。駅伝にかける市民の情熱は計り知れません!

街中あちこちの道路を封鎖したり、通行規制を行ったりして、周回ではないコースが用意される岡崎市民駅伝。全国でも珍しい、すばらしい行事だと思います。市内の中学校、高校が総力戦を行う大会であり、そのおかげで、岡崎から箱根駅伝に出るようなスター選手が何人も生まれています。学生だけでなく親御さんや先生方も惜しみない情熱を注ぐ岡崎市民駅伝がこれからも継承され、スポーツの街・岡崎を盛り上げ続けてくれることを期待しています!