2017年9月9日、後藤さんがトレーナーとしてサポートしてきた桐生祥秀選手が、日本人初の100m9秒台、9.98秒という大記録を達成したことは、皆さんの記憶にも新しいことでしょう。後藤さんがこの仕事に就いたきっかけは、どのようなことだったのでしょうか。「アスレティックトレーナーになり、オリンピックを目指すという夢を抱いたきっかけのひとつは、岡崎市民駅伝(※正式名称は、岡崎市民駅伝競走大会)でした」と後藤さんは語ります。
「小学校、中学校とバスケットボール部に入っていて、冬には駅伝部にも所属していました。岡崎市民駅伝を目指して練習し出場する経験を通して、陸上競技に可能性を感じ、転向することにしたんです。岡崎北高校へ入学し、陸上部に入部。高校時代は長距離を走っていて、最高順位は県大会での11位でした。でも、2年のときに腰に怪我を負い、インターハイ予選にも出られず引退し、とても悔しい思いをしました。
その時、いろいろな治療院で診てもらった経験があり、そこでトレーナーという仕事があることを知りました。ちょうどバルセロナオリンピックや、東京で第3回世界陸上競技選手権大会が行われていた頃で、『アスレティックトレーナーとしてスポーツ選手を支え、最高峰の場所であるオリンピックに行ってみたい』という夢を見つけたんです。それから無我夢中でいろいろな経験を重ね、20年を経てロンドンオリンピックで夢を叶えることができました。岡崎市民駅伝に参加しなければ、この夢を持つことも、叶えることもなかったでしょう。自分にとって岡崎市民駅伝は夢の原点であり、アスレティックトレーナーとして活動する原動力のひとつなんです」