大樹寺の歴史と家康公との関わり
松平家・徳川家の菩提寺として知られ、国の重要文化財である多宝塔や大方丈の障壁画など、数多くの見どころがある大樹寺。創建は今から550年以上前の1475年(文明7年)。徳川家康公から数えると5代前にあたる、松平家の第4代当主・松平親忠(ちかただ)公によって建立されました。開山(開創した僧)は、碧海郡(現在の碧南市、刈谷市、知立市、岡崎市の一部など)にあった福林寺の住職・勢誉愚底(せいよぐてい)。建立の9年前に起こった戦の戦死者を弔うために招かれ、7日間に亘って別時念仏(べつじねんぶつ)を行ったといわれています。
そして建立から85年を経た1560年(永禄3年)、徳川家康公(当時は松平元康)が18歳のときに、大樹寺にまつわる有名なエピソードが生まれます。言い伝えによると、同年に起こった桶狭間の戦いで、家康公の当時の主君であった今川義元が討死。その報を受けた家康公は、手勢18名とともに大樹寺に逃げ込むも、間もなく敵に包囲され、一時は自害を決意したとすらいわれます。
そのときに泰平の世を目指す浄土宗の教え「厭離穢土欣求浄土(お〈え〉んりえど ごんぐじょうど)」を説き、自害を思い止まらせたのが、大樹寺の第13代住職・登誉上人(とうよしょうにん)でした。奮起した家康公は、祖洞和尚を始めとする約500人の寺僧とともに奮戦。敵を退散させて、生誕の地である岡崎城に辿り着いたといわれています。
その後、江戸幕府を中心とする幕藩体制を確立し、平和な世を築いた徳川家康公。「もしもあのとき、若き日の家康公の決心を翻意させることができていなかったら…」と考えると、大樹寺が日本の歴史に果たした役割の大きさがよく実感できるのではないでしょうか。
では、上記の歴史を踏まえたうえで、さっそく大樹寺見学に向かいましょう。
そして建立から85年を経た1560年(永禄3年)、徳川家康公(当時は松平元康)が18歳のときに、大樹寺にまつわる有名なエピソードが生まれます。言い伝えによると、同年に起こった桶狭間の戦いで、家康公の当時の主君であった今川義元が討死。その報を受けた家康公は、手勢18名とともに大樹寺に逃げ込むも、間もなく敵に包囲され、一時は自害を決意したとすらいわれます。
そのときに泰平の世を目指す浄土宗の教え「厭離穢土欣求浄土(お〈え〉んりえど ごんぐじょうど)」を説き、自害を思い止まらせたのが、大樹寺の第13代住職・登誉上人(とうよしょうにん)でした。奮起した家康公は、祖洞和尚を始めとする約500人の寺僧とともに奮戦。敵を退散させて、生誕の地である岡崎城に辿り着いたといわれています。
その後、江戸幕府を中心とする幕藩体制を確立し、平和な世を築いた徳川家康公。「もしもあのとき、若き日の家康公の決心を翻意させることができていなかったら…」と考えると、大樹寺が日本の歴史に果たした役割の大きさがよく実感できるのではないでしょうか。
では、上記の歴史を踏まえたうえで、さっそく大樹寺見学に向かいましょう。
本堂を参拝して大方丈を見学
大樹寺の境内に入ったら、まずは正面に見える本堂を目指しましょう。現在の本堂は、1855年(安政2年)に起こった安政の火災で最初の本堂が焼失した後、2年後に再建されたもの。ちなみに、安政の火災を免れた山門の規模から推測すると、消失前の本堂は現在よりも2~3割ほど大きかったのではないかといわれています。
堂内には、県の指定文化財に指定されている木造阿弥陀如来坐像が鎮座しています。像高は140cm。平安時代末期の作といわれ、本堂が再建された後に京都の泉湧寺から迎えられたそうです。
そして、ここから拝観料を支払い、順に大方丈、文化財収蔵庫、宝物殿と回っていきましょう。
1975年頃まで、この大方丈には再建時に大和絵師・冷泉為恭(れいぜいためちか)によって描かれた障壁画がはめられていました。それらの障壁画は、京都国立博物館の文化財保存修理所に送られて修復された後、現在は文化財収蔵庫に収蔵、展示されています。
さらに進むと、家康公の命を救った登誉上人の坐像と貫木神(かんぬきしん)が祀られている部屋に出ます。貫木神とは、家康公を守るために祖洞和尚が振り回したと伝わる貫木のこと。現在はその実物を見ることはできませんが、家康公によってつけられた刀傷も残っているそうです。
堂内には、県の指定文化財に指定されている木造阿弥陀如来坐像が鎮座しています。像高は140cm。平安時代末期の作といわれ、本堂が再建された後に京都の泉湧寺から迎えられたそうです。
そして、ここから拝観料を支払い、順に大方丈、文化財収蔵庫、宝物殿と回っていきましょう。
1975年頃まで、この大方丈には再建時に大和絵師・冷泉為恭(れいぜいためちか)によって描かれた障壁画がはめられていました。それらの障壁画は、京都国立博物館の文化財保存修理所に送られて修復された後、現在は文化財収蔵庫に収蔵、展示されています。
さらに進むと、家康公の命を救った登誉上人の坐像と貫木神(かんぬきしん)が祀られている部屋に出ます。貫木神とは、家康公を守るために祖洞和尚が振り回したと伝わる貫木のこと。現在はその実物を見ることはできませんが、家康公によってつけられた刀傷も残っているそうです。
文化財収蔵庫から宝物殿まで数多くの見どころを巡る
大方丈を見学した後は、文化財収蔵庫へと向かいます。ここでの一番の見どころは、なんといっても国の重要文化財である障壁画でしょう。作者である冷泉為恭は、約4か月ですべての障壁画を描き上げてしまったとか。平成29年に約11年をかけた修復作業がすべて完了し、現在はおよそ140面の障壁画が見られるようになっています。
続いて向かうのは宝物殿の位牌堂。ここには「位牌は三河大樹寺に立てること」という家康公の遺言によって、松平家と14代将軍・家茂公までの徳川家の位牌が安置されています。なお、位牌の高さがそれぞれの将軍の臨終時の身長に合わせてあるという説は有名な話。ちなみに位牌の高さとは、各位牌の金色のベースから上の部分を指すそうです。
位牌の中でひときわ低いのは、犬将軍として知られた徳川家の5代将軍・徳川綱吉公。位牌の高さから推測すると、身長は124cmほどだったと思われます。いずれにしても、歴史上の人物の身長について思いを巡らすなんて、滅多にない機会。それぞれの位牌を見比べていると、これまで以上に身近な存在として感じられてくるから不思議です。
そして位牌堂の奥には、市の指定文化財である木造東照権現(徳川家康)坐像も。家康公の33回忌に合わせ、1648年(慶安元年)に京都の大仏師である左京法橋康以によって造られたものだとか。ちなみに戦前は、この家康公の写真が国定教科書にも使われていたそうです。
続いて向かうのは宝物殿の位牌堂。ここには「位牌は三河大樹寺に立てること」という家康公の遺言によって、松平家と14代将軍・家茂公までの徳川家の位牌が安置されています。なお、位牌の高さがそれぞれの将軍の臨終時の身長に合わせてあるという説は有名な話。ちなみに位牌の高さとは、各位牌の金色のベースから上の部分を指すそうです。
位牌の中でひときわ低いのは、犬将軍として知られた徳川家の5代将軍・徳川綱吉公。位牌の高さから推測すると、身長は124cmほどだったと思われます。いずれにしても、歴史上の人物の身長について思いを巡らすなんて、滅多にない機会。それぞれの位牌を見比べていると、これまで以上に身近な存在として感じられてくるから不思議です。
そして位牌堂の奥には、市の指定文化財である木造東照権現(徳川家康)坐像も。家康公の33回忌に合わせ、1648年(慶安元年)に京都の大仏師である左京法橋康以によって造られたものだとか。ちなみに戦前は、この家康公の写真が国定教科書にも使われていたそうです。
多宝塔から廟所を経てビスタラインまで
次は本堂を再び通って屋外へ。大樹寺は、まだまだ見どころが尽きません。まずは寺内に現存する最古の建物、多宝塔に向かいましょう。松平家の第7代当主・松平清康公によって1535年(天文4年)に建造されたもので、国の重要文化財に指定されている貴重な建造物です。
そして多宝塔から北に向かって霊園を抜けていくと、市の指定史跡である廟所(びょうしょ)松平八代墓が見えてきます。最初にここを廟所としたのは、大樹寺を創建した親忠公。その後、家康公の一周忌が営まれた1617年(元和3年)に、現在の墓の姿が整ったといわれています。
次は境内を出て、山(三)門の表側に回ってみましょう。山(三)門は徳川家の3代将軍・徳川家光公によって1641年(寛永18年)に建立された後、安政の火災でも焼失することなく、現在は県の指定文化財となっています。ちなみに注目してほしいのは、向かって左側に何気なく置かれた1本の木。なんとこれは、家康公が旗を掲げるときに使った旗かけの木と呼ばれるものだとか。
そして山(三)門を背にして、現在は大樹寺小学校の南門になっている総門を望むと、総門の開口部の真ん中に岡崎城が。これがかの有名なビスタライン。370年以上前に山(三)門が建立されたときから、「眺望を遮らないように」との地域の人たちの配慮によって守られてきた、まさに歴史的眺望です。
そして多宝塔から北に向かって霊園を抜けていくと、市の指定史跡である廟所(びょうしょ)松平八代墓が見えてきます。最初にここを廟所としたのは、大樹寺を創建した親忠公。その後、家康公の一周忌が営まれた1617年(元和3年)に、現在の墓の姿が整ったといわれています。
次は境内を出て、山(三)門の表側に回ってみましょう。山(三)門は徳川家の3代将軍・徳川家光公によって1641年(寛永18年)に建立された後、安政の火災でも焼失することなく、現在は県の指定文化財となっています。ちなみに注目してほしいのは、向かって左側に何気なく置かれた1本の木。なんとこれは、家康公が旗を掲げるときに使った旗かけの木と呼ばれるものだとか。
そして山(三)門を背にして、現在は大樹寺小学校の南門になっている総門を望むと、総門の開口部の真ん中に岡崎城が。これがかの有名なビスタライン。370年以上前に山(三)門が建立されたときから、「眺望を遮らないように」との地域の人たちの配慮によって守られてきた、まさに歴史的眺望です。
ゆっくり時間をかけて見学するのもオススメ
というわけで、やや駆け足になってしまいましたが、大樹寺の見どころを順番に回ってみました。しかし今回紹介した以外にも、貴重な宝物や写真、展示資料など、大樹寺にはもっとたくさんの見どころが満載。1時間といわず、半日くらいかけてじっくりと巡ってみるのもオススメです。いずれにしても、日本の歴史に大きな足跡を残した松平家・徳川家との関わりが深い大樹寺。ぜひみなさんも気軽に足を運んでみてはいかがでしょうか。
◯取材協力(敬称略)
大樹寺
◯大樹寺data
■拝観時間:9:00~17:00
■拝観料(大方丈・文化財収蔵庫・宝物殿):高校生以上400円、小中学生200円
■駐車場:91台(無料)
■HP:http://home1.catvmics.ne.jp/~daijuji/
※本堂・大方丈・文化財収蔵庫・宝物殿の一般撮影は不可
大樹寺
◯大樹寺data
■拝観時間:9:00~17:00
■拝観料(大方丈・文化財収蔵庫・宝物殿):高校生以上400円、小中学生200円
■駐車場:91台(無料)
■HP:http://home1.catvmics.ne.jp/~daijuji/
※本堂・大方丈・文化財収蔵庫・宝物殿の一般撮影は不可
◯ライター:藤原均
愛知県名古屋市出身。平成29年の春まで岡崎に住んでいましたが、事情があって泣く泣く転居。市内のフェイバリットスポットはLibra! 転居したことで、広さやきれいさ、蔵書量などLibraの素晴らしさをあらためて実感しています。
愛知県名古屋市出身。平成29年の春まで岡崎に住んでいましたが、事情があって泣く泣く転居。市内のフェイバリットスポットはLibra! 転居したことで、広さやきれいさ、蔵書量などLibraの素晴らしさをあらためて実感しています。
インフォメーション
場所:愛知県岡崎市鴨田町字広元5‐1