山から石を切り出す山石屋という仕事

公開日:2017.09.01     "〇にナる" 岡崎まちものがたり
岡崎市は全国でも有数の石材産地。しかし、一般の人が石切場を目にする機会はなかなかありません。果たして、石を切り出す山石屋とは、どのような仕事なのか? 宇寿石(うすいし)の産地として知られる常磐学区の石切場を訪ねました。
  • 県道から山の中に入り、石切場に向かう途中の道。夜に来たら遭難しそうです…

    県道から山の中に入り、石切場に向かう途中の道。夜に来たら遭難しそうです…

  • (有)中根石材の中根浩司さん。これらはすべて中根さんが切り出した石。ものすごい数です

    (有)中根石材の中根浩司さん。これらはすべて中根さんが切り出した石。ものすごい数です

  • 幅が約7mもある板石。きれいな状態で、これだけ大きい石が採れるのは珍しいとか

    幅が約7mもある板石。きれいな状態で、これだけ大きい石が採れるのは珍しいとか

  • 宇寿石の正式名称は、白雲母黒雲母花崗岩。色が白く、とてもきれいな石です

    宇寿石の正式名称は、白雲母黒雲母花崗岩。色が白く、とてもきれいな石です

  • 左が石切場に続く道。今は少しだけ下り坂になっています

    左が石切場に続く道。今は少しだけ下り坂になっています

  • だんだんと、石切場の全貌が見えてきました!

    だんだんと、石切場の全貌が見えてきました!

  • 向こうの岩壁まで、軽く50m以上はありそうです

    向こうの岩壁まで、軽く50m以上はありそうです

石を切り出し続けて約70年、山のかたちが変わった!?
常磐の石切場は、室町時代に岡崎城が築城される際、石垣の材料として切り出されたのが始まりといわれています。今回お邪魔させていただくのは、常磐学区を横断する県道339号長沢東蔵前線から、さらに脇道に入った山の中。車1台分の幅しかない砂利道を、何度も道に迷いながら進んでいくと、やがて大きな石がそこかしこに積み上げられたところに辿り着きます。

ここが特別に見学許可をいただいた(有)中根石材の敷地。昭和55年から山石屋の仕事一筋という大ベテランの中根浩司(なかねこうじ)さんが、仕事の手を休めて出迎えてくれました。

常磐で採れる宇寿石は、墓石や建築材などに使われる花崗岩の一種。石を構成するさまざまな鉱物のうち、黒雲母(くろうんも)と白雲母(しろうんも)がほぼ均等に含まれていることから、世界的に見ても珍しい花崗岩といわれているそうです。

ちなみにここは石割り場と呼ばれるところ。肝心の石切場へは、さらに奥へと入っていきます。「この道も、昔は上り坂だったんだけどね」と中根さん。何十年もかけて石を切り出していくうちに、なんと道の傾斜まで変わってしまったとか。

中根石材の創業は戦前にさかのぼります。ただし、当初は違う山で石を採っていたため、現在の石切場に移ってきたのは昭和20年代の後半。それでも、およそ70年も昔です。石切場は、山の中にぽっかりと開いた、だだっ広い谷間のような空間。周囲を垂直に切り立った岩肌に囲まれています。「一番最初は、いま立っている場所も、あれくらいの高さだったんです」といって、はるか遠くの岩壁の上を指差す中根さん。

「えっ、どういうことですか?」と私。
「つまり、この谷間全体が、もともとは1つの山だったんです」
「な、なんと…!」

この驚きをどのように伝えたら良いでしょうか。あまりに広くて計測できないので、あくまでも勝手なイメージですが、サッカースタジアム1個分ほどに相当する広さの面積を、4~6階建てビルの高さ分ほど掘り進めていったとしたら、今の状態に近づくのかもしれません。およそ70年ほどかけて、コツコツと石を切り出していった結果、これだけ広範囲の地形をすっかり変えてしまうとは…。人間の力って、本当に偉大ですね。
  • ゴロンと横たわっているのが発破で切り出した石。重さは推定で約100tもあるとか

    ゴロンと横たわっているのが発破で切り出した石。重さは推定で約100tもあるとか

  • 切り出した石は、重機で持ち上げられる大きさに小割りして、石割り場に運びます

    切り出した石は、重機で持ち上げられる大きさに小割りして、石割り場に運びます

  • こちらが飛矢。昔から使われている石割り道具です

    こちらが飛矢。昔から使われている石割り道具です

  • セリ矢は3つの部品で1組。飛矢よりも大きな石を割ることができます

    セリ矢は3つの部品で1組。飛矢よりも大きな石を割ることができます

  • 削岩機を使い、飛矢のかたちに合わせて穴を開けます

    削岩機を使い、飛矢のかたちに合わせて穴を開けます

  • ハンマーのひと叩きでこのとおり!

    ハンマーのひと叩きでこのとおり!

発破から石割りまで、経験と勘がものをいう世界
山石屋は、山から石を切り出し、注文に応じて小割りをしてから、注文主に届けるまでが仕事です。「いってみれば、地球から石を剥がすのが役割ですね」と中根さん。最初の切り出しは発破といって、火薬を使って行います。

火薬の量は、割りたい大きさや方向によって、石を見ながら決めるそうです。火薬を仕掛けて周辺の安全確認を済ませ、数百メートル離れてから着火。爆発の大きさによっては、足元の地面がグラグラと揺れることもあるとか。ただし、良い石が採れるかどうかは、実際に発破をかけてみるまでわかりません。「いくら石の表面を見ても、中の状態はわからないですからね」。まさに長年の経験と勘が必要とされる職人の世界です。

ここで一度、石割り場に戻り、次の工程である小割りの実演をお願いしました。使用するのは、石割り道具の飛矢とセリ矢。どちらも鉄製で、ノミの金属部分のようなかたちをしています。「小さい石を割るときは飛矢、大きい石はセリ矢が向いています」と中根さん。

まずは削岩機で穴を開けてから、飛矢を差し入れます。そして、ハンマーで上からひと叩き。すると、30cmほどの厚みがある石にも関わらず、下までヒビが入り、2つにパカッと割れてしまいました! 「コツは、自然に決っている石の目に逆らわないこと」と中根さん。「石が割れたがっている方向に割るだけ」と話しますが、これもまた、熟練の職人でなければ真似のできる芸当ではありません。
  •  石割り場に大きな屋根を取り付けたのは平成4年頃。作業効率を上げるため、日頃から試行錯誤を繰り返しているとか

    石割り場に大きな屋根を取り付けたのは平成4年頃。作業効率を上げるため、日頃から試行錯誤を繰り返しているとか

  • 「山石屋の技術の継承も、今後の目標の1つ」と力強く話してくれました

    「山石屋の技術の継承も、今後の目標の1つ」と力強く話してくれました

これからもできる限り常磐の石を届けていきたい
昭和40年代の最盛期には、およそ150軒もあったという常磐の石切場。しかし、現在も稼働しているところは、今回お邪魔させてもらった中根石材を含めて数軒しか残っていません。「良い石が採り尽くされたり、採算が合わなくなったり。これも時代の流れです」と中根さん。しかし、岡崎の宇寿石を求める人がいる限りは、少しでも長くこの仕事を続けていきたいと前を見据えます。

石切場で切り出された石は、加工を施されて墓石や建物の石柱、鳥居など、さまざまな用途に使われます。ただし、全体の採石量のうち、建築材として流通するのは約30%。墓石にいたっては、全体の3~5%に過ぎません(そのほかは、埋め立ての材料などに使われるとか)。実に厳しい世界ですが、中根さんいわく「一番うれしいのは、発破がうまくいって良い石が出たとき」。山石屋の仕事とは、自らの経験と勘を武器に、大自然と対峙する。そんなところに大きな醍醐味があるのかもしれません。
私たちの生活に身近な存在
室町時代から、およそ500年の長い歴史を持つ常磐の石切場。ここで切り出された石が、やがて墓石や建築材となる。そう考えると、実は私たちの生活にとても身近な存在だといえるのでは。地域の誇るべき伝統産業の1つとして、これからも末永く続いていってくれることを願っています!
◯取材協力(敬称略):有限会社中根石材(所在地:岡崎市滝町字山籠47、電話:0564-46-2053)

◆中根石材 アップロード動画 
現在、5本の動画が公開されています。そのうちの1本がコチラ…

〇関連学区まちものがたりリンク
12常磐学区まちものがたり
◯ライター:藤原均
愛知県名古屋市出身。つい最近まで岡崎に住んでいましたが、事情があって泣く泣く転居。今もたびたび岡崎に足を運び、胸に刻み込まれた岡崎愛を再確認しています。市内のフェイバリットスポットはLibra

インフォメーション

場所:愛知県岡崎市滝町字大入21-1(一般の人の見学は不可)