開運 家康公拝見旅! ~家康公像を巡るプチ市内観光~

公開日:2022.11.29     まなぶ
2023年大河ドラマの主人公が徳川家康公に決定しました。家康公の生誕地である岡崎では、1月からの放送に向け、ドラマ館オープン準備や市内施設でのポスター掲示など徐々に盛り上がりを見せています。

ところで皆さんは、徳川家康公といえば、どんな姿が思い浮かびますか?
多くのかたが教科書に載っているような「タヌキおやじ」姿を想像されるのではないでしょうか。

岡崎市では、至る所で様々な家康公像を見ることができます。
泰平の世を築いた家康公はどのような姿だったのか。
今回は、岡崎市内にある色々な「家康公像」にスポットを当て紹介します。

ペデストリアンデッキの「若き日の徳川家康公騎馬像」

東岡崎駅から北東に延びる空中回廊を進むと一際大きい銅像が見えてきます。ペデストリアンデッキの中央・家康公ひろばに鎮座する「若き日の徳川家康公騎馬像」です。
2019年11月に公開された騎馬像の高さはなんと、台座を含め約9.5m!日本最大級の大きさだそうです。松平から徳川に改姓した25歳当時の姿を表し、騎馬にまたがり弓を携える姿には勇ましさを感じます。
像の原型は、日本を代表する彫刻家の神戸峰男(かんべみねお)氏によって制作されました。
鋳造と組み立ては、銅の職人である村瀬哲也氏です。また、台座の「徳川家康」「厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)」の題字は、徳川宗家18代当主の徳川恒孝(つねなり)氏によるものです。

【厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)】
大樹寺(松平家・徳川家の菩提寺)で自害しようとした家康公を思いとどまらせた、第13代住職・登誉上人の言葉。
「地面ではなく橋上に設置するため、強度を保ちつつ銅像の重さをできる限り軽くする必要があります。極限まで銅の厚さを薄くするために試行錯誤を繰り返しました」と村瀬さん。総重量は、3トンですが、銅の厚さで一番薄い部分はたった5㎜だそう。

また、像をいくつかのパーツに分けて製作するため、それぞれを重ねた時に隙間ができないよう金属の伸縮も掲載するなど、とても高度で緻密(ちみつ)な作業も難しかったとのこと。
寸分の狂いもないできあがりは、匠の技術が詰まった後世に残る大作です。
砂や土などで作った型を組み合わせる作業
砂や土などで作った型に溶かした銅を流し入れる作業

岡崎公園内の「徳川家康公像」

家康公は、1542(天文11)年12月26日に岡崎公園内二の丸(現在の二の丸能楽堂あたり)で生まれました。
生誕の地である岡崎公園には、色々な家康公像がたくさんあります。
家康公像
公園内で一際目立つ銅製の家康公像。
幼少のころは人質として苦悩の道を歩きましたが、自立を果たしてからは、天下統一を目指し奮起します。その後、1600(慶長6)年に天下分け目の関ヶ原の合戦に大勝して、天下統一を成し遂げました。

この銅像は1965年に家康公350年祭を記念して建てたものです。実はこの像、かつての江戸城があった方角を見つめているそうです。よく見ると表情は、笑顔ではなく、少し目線を下げ心配しているかのよう。家康公が何を思っているのか想像してみては?

制作:彫刻家 高村泰正氏
設置:1965(昭和40)年4月
家康公350年祭を記念して建てられました。
しかみ像
岡崎城二の丸能楽堂の北側にある植木の中にひっそりとたたずむ「しかみ像」。
家康公は織田信長と共に浜松の三方ヶ原で武田の大軍に無理な戦いを挑み負け戦となりました。
この像は、三方ヶ原の戦いで多くの家臣を失った家康公が自戒の念を忘れることのないように描かせたものと伝えられている「しかみ像(徳川家康三方ヶ原戦没画像)」をもとに製作された石像です。

肖像画には珍しい苦渋の表情を表したしかみ像は、恰幅(かっぷく)が良く貫禄のある家康公のイメージとはまた違った印象を感じます。


寄贈:徳川宗家第18代当主 徳川恒孝氏
制作:岡崎の石職人 小林道明氏
設置:2007(平成19)年11月
松平元康像
生涯で4度の改名をしている家康公。松平元康は、家康に改名する1つ前の名前です。
この像は、岡崎城を背にして、家康公が祀られる日光東照宮の方角を向いています。
背景の石垣と滝は治世を象徴し、元康が胸に秘めた国盗り(敵の領土を攻め奪うこと)の夢が、土の中から盛り上がる様子を表しています。


寄贈:450年祭実行委員会
原案:三州岡崎葵市民の洋画家 萩太郎氏
原型:彫刻家 橋本裕臣氏
石彫:彫刻家 牧野正次氏
設置:1994(平成6)年
出世ベンチ
岡崎城の裏手側(北側)にある「出世ベンチ」と名付けられた石のベンチ。このベンチは、岡崎産の御影石を使用し、造られています。
竹千代(家康公の幼名)・家康公の両隣に座ることができますので、岡崎城天守閣をバックに写真撮影もおすすめです。


設置:2012(平成24)年2月
産湯の井戸案内板
伊賀川にかかる板谷橋のたもとに、岡崎公園の案内板があります。
そこには、葵の御紋の入った軍配(武将が戦の指揮に使用したうちわ)持って、肩衣(かたぎぬ:武士が来ていた礼服)を着た竹千代をイメージした石像があります。


設置:2013(平成25)年3月
からくり時計塔
9時~18時の間、毎時0分と30分になると時計の文字盤が開き、中から家康公のからくり人形が現れ、能の演目「翁(おきな)」を舞います。舞の途中で能面を被り最後には遺訓を語る、日本には二つとない時計塔です。

【遺訓】
家康公の有名な人生訓。
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。いそぐべからず。…」

大樹寺「徳川家康公霊夢像」

徳川三代将軍・家光公は、しばしば夢に現れる祖父 家康公の姿を狩野探幽(かのうたんゆう:江戸時代初期の絵師)に「家康公霊夢像」をして描かせました。
大樹寺で見ることができる石像は、その絵をもとに彫ったものです。岡崎産の御影石で造られているこの像の高さは、台座を含め1.5m。
葵の御紋が描かれた屏風の前でどっしりとあぐらをかく家康公の姿となっています。


設置:2015(平成27)年4月
   家康公没後400年記念事業として建てられました。

JR岡崎駅「松平元康像」

JR岡崎駅東側に鎮座する「松平元康像」。像の両サイドには、大樹寺の第13代住職 登誉上人(とうよしょうにん)が家康公に伝えた言葉である「厭離穢土 欣求浄土」と刻まれた石柱が建っています。

【家康公と登誉上人のエピソード】
かつて桶狭間の戦いから大樹寺に逃げ帰った家康公が、先祖のお墓の前で自害を試みた際に、住職から「厭離穢土 欣求浄土」という教えを受け、自害を思い留まった、というエピソードがあります。


設置:2009(平成21)年

道の駅藤川宿「徳川家康公像」

国道一号線沿いにある道の駅藤川宿の入口、名鉄藤川宿前にある徳川家康公像。
鷹狩を好んだ家康公が、昇る朝日を眺め平和に満ちた世の中を築くために誓いを新たにしている姿を表しています。


設置:2012(平成24)年

番外編 東岡崎駅「家康公手形」

岡崎の玄関口となっている名鉄東岡崎駅の北口に家康公の手形があることを知っていましたか?

家康公の手には、天下取りの手相と言われる人差し指側から小指側まで横一直線の「ますかけ線」が両手にあったといわれています。この手相にもしっかりと「ますかけ線」が記されています。
ご自身の手と見比べたり、手形に重ねてみたりしては?
いよいよ、1月からNHK大河ドラマ「どうする家康」放送開始です!市内にあるいろんな表情をした家康公像を巡って思いをはせてみてはいかがでしょうか?