駒立は、以前は養蚕が盛んな地域でした。しかし、戦後は、養蚕の需要も少なくなり、駒立の農家の方々は養蚕に代わる作物への転換を模索していました。そこで行き着いたのがぶどう栽培でした。ぶどう栽培には、水捌けの良い土壌と日当たりの良い場所が適しています。駒立の地形はまさにそのもの。そこで3名ほどの先駆者によりぶどう栽培が始まったのです。
さらに1960年のこと、名鉄バスが「駒立⇔東岡崎」路線を開通させたことで、新たなチャンスが開けました。多くの人に足を運んでもらえ、きっと、もっと皆さんに楽しんでもらえる場所を提供できるはずと、ぶどう狩りの観光農園をスタートさせたのです。
開園式には、当時の岡崎市長も出席し、名鉄バスも宣伝を買って出てくれるなど周りのバックアップもありました。
開園後は、農園の方たちは、ぶどう観光農園の先進地「山梨」への視察研修を繰り返しました。当時は高棚でぶどうを育てるのが主流でした。山梨のぶどう園でも、来園者自身がぶどうを採るのではなく、高棚に実っているブドウ棚を眺めながら、お皿に盛りつけたぶどうを試食し、その後にお土産としてぶどうを買って帰るスタイルでした。しかし、駒立では、もっと来園者に楽しんで頂くために、ぶどうの木を低めに育てて、来園者自らがぶどうを採って試食できる、今主流のスタイルをいち早く導入しました。
さらに、来園者に一日をたっぷりと楽しんでいただけるようにと、各園が切磋琢磨して様々な工夫を重ねたり、ワインや菓子などの商品を開発して販売するなどした結果、その甲斐あって、開園当初年間3,000人だった観光客は、今では東海一円から年間70,000人もの観光客が訪れる、東海随一と言われる規模となったのです。