岡崎城公園で体験する”人が伝える歴史”。時を超えて、岡崎の魅力を伝える「グレート家康公『葵』武将隊」に密着!

公開日:2025.10.08     家康公
岡崎市を代表する歴史と文化の公園「岡崎城公園」を訪れると、甲冑を身につけた武将たちに出会えることがあります。
彼らは「グレート家康公『葵』武将隊」と呼ばれ、観光客へのおもてなしや、三河武士のやかた家康館の案内など、歴史を分かりやすく、そして楽しく伝えてくれる存在です。
その活動は観光客だけでなく岡崎市民にも愛されており、多くのファンが応援しています。

今回は、彼らがどのように岡崎の魅力を伝えているのか、さらに活動の裏側にある想いについて密着しました。

グレート家康公「葵」武将隊とは

戦国時代より、現世に蘇った徳川家康公とその家臣たちで構成される観光PR隊です。
家康公生誕の地である岡崎城を拠点に、おもてなしや演武を通して、岡崎市の魅力を世界・全国に発信しています。

平日は岡崎城公園内で観光客を迎え、記念撮影や園内案内、展示施設「三河武士のやかた家康館」での解説などを行っています。
土日・祝日には「三河武士のやかた家康館」の前に集まり、「グレート演武」を披露。
さらに市内外のイベントにも出演し、多くの観客を魅了しています。

各武将紹介

武将隊は、徳川家康公をはじめ、「徳川四天王」と呼ばれる酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政、そして服部正成の6人で構成されています。
「徳川家康公」 天文11年(1542年)に岡崎城内で誕生。幼名を竹千代。天下分け目の関ヶ原合戦に勝利し、征夷大将軍となる。江戸幕府を開き、大坂冬の陣・夏の陣で豊臣氏を滅ぼし名実ともに天下統一を果たす。
「酒井忠次」 質実剛健の三河武士を束ねる人格者。徳川四天王の筆頭にして姉川、三方原、小牧・長久手の戦など先手の大将として武勇をとどろかす。家康公とは親戚関係。
「本多忠勝」 幼き頃より家康公に仕え、”家康に過ぎたるもの”と称された戦国最強の武将。生涯に参加した57の合戦において、かすり傷ひとつ負わなかったと伝えられている。
「榊原康政」 徳川家臣の中で人品最も高しと名高く、文武両道を極める情熱家。一向一揆の活躍で家康公から「康」の字を賜る。本多忠勝とは親友同志。
「井伊直政」 徳川四天王最年少。家康公に仕えてからは恩義に応え、戦では自ら真っ先に敵陣に斬り込み、いつも生傷が絶えなかった。赤備えの甲冑が特徴。
「服部正成」 又の名を鬼の半蔵。伊賀越えでは伊賀・甲賀者を率いて家康公一行を岡崎城へ帰還せしめた。家康公と同年生まれ。

誰もが歴史を身近に感じられるように

岡崎城公園では、武将隊が観光客と気軽に交流しています。
彼らが大切にしているのは、歴史を伝えるだけでなく、訪れた人々に心から楽しんでもらうことです。

そのため、歴史の知識だけでなく、観光や地域に関する幅広い情報も積極的に伝えています。
案内の際に意識しているのは「相手の興味に触れること」。
訪れた人が求めるものを感じ取り、有益な情報を届けられるよう日々工夫を重ねているそうです。

榊原康政殿は、歴史をより身近に感じてもらうため、観光客の出身地を聞き、その土地の歴史の話も盛り込んで話をしたりもするそうです。

また、井伊直政殿は、戦国時代の口調と現代の言葉を絶妙なバランスで使い分けることで、歴史を分かりやすく伝えられるように努めているとのこと。
「基本的には我らの時代(戦国時代)に話しておった言葉をそのまま使っておるが、やはり現世の者には伝わらぬときがござる」と語り、現代でも分かりやすい表現を意識しているそうです。

さらに、服部正成殿は、「1おもてなしに1笑い」を心がけ、「来てよかった」と思ってもらえるように、得意のお笑いを交えながらおもてなしをしているそうです。

「グレート家康館ツアー」に密着

  • 解説をする井伊直政殿

    解説をする井伊直政殿

  • 解説をする井伊直政殿

    解説をする井伊直政殿

  • 解説をする井伊直政殿

    解説をする井伊直政殿

  • 今回の密着では、常設展示室を解説してくださいました。

    今回の密着では、常設展示室を解説してくださいました。

  • 常設展示室

    常設展示室

平日の「三河武士のやかた家康館」では、武将隊が館内を特別に案内する「グレート家康館ツアー」が行われています。
先着15人限定の特別なツアーで、案内役を務める武将・解説内容は当日までのお楽しみ。

今回の密着では、井伊直政殿がツアーを担当します。
ツアーでは、展示物をただ説明するのではなく、背景や物語を交えて解説。

さらに「現代に例えると…」といった例えばなしもあり、自然と話に引き込まれます。
例えば「兵糧入れ(徳川家康公が桶狭間の戦いの際に大高城へ食料を運び込んだ任務)」を「現代でいうウーバーイーツのようなもの」と例えることで、誰もが歴史を身近に感じられるようになっています。

活動の象徴「グレート演武」

土日・祝日に披露される「グレート演武」は、彼らの活動の象徴。
名乗りを上げ、迫力ある殺陣(たて)や動きを披露する様子は、多くの観客を魅了します。

オープニングを飾る「Welcome to 開運ロード」は、旗や槍を使ったダイナミックな動きで観客を歓迎する、彼らを象徴する一曲となっています。

続く「堪忍をどり」は、家康公の遺訓を歌詞にした、笑顔で楽しめる曲です。
振付もシンプルで、初めての人でも一緒に踊れるため、「堪忍こそ平和の第一歩」という家康公の想いをポップに、そして体全体で感じてもらえる演目となっています。

演武の最大の特徴は、来場者を巻き込む参加型のスタイル。
本多忠勝殿は、楽しい曲ではまず自分がとことん楽しむことを意識しているとのこと。
観客との距離を縮めるために場外に出て行き、遠くから見ている人にも声をかけるなど、観客と共に創り上げ、共に楽しめる空間をつくりだしています。

岡崎を盛り上げるために

グレート家康公「葵」武将隊が、岡崎を盛り上げるためにどのような想いで活動しているのか。彼らの言葉から、その熱い想いが見えてきます。

徳川家康公は、イベントなどを通して、岡崎市民のかたがまちを盛り上げようとする心意気や熱量に深く感銘を受けたそうです。
「歴史・観光はもちろん、地域の皆さまとの交流を大切にし、共に盛り上げたい」と、その想いを語ります。

また、酒井忠次殿は、武将隊の使命について、「岡崎城には本物の武将がいると思ってもらうことで、岡崎城の価値、ひいては岡崎の価値が上がり、観光客が増えることを願う」と話します。

彼らが目指すのは、「岡崎に武将隊がいてくれてよかった」と心から思ってもらえる存在です。その熱い想いが、訪れる人々に感動と笑顔を届けているのです。
活動の中で、印象に残っている出会いも多いといいます。

観光で立ち寄ったかたを案内し、後日、感謝の手紙が届いたこともあったとのことです。
幼稚園にて演武を披露した際に、武将隊のことを気に入ってくれた子どもたちが、後に岡崎城まで会いにきてくれたことも、忘れられない出来事のひとつだそうです。

また、彼らが伝えるのは、歴史だけではありません。
岡崎の新しい名所や魅力なども積極的に発信するために、最近はSNSにも力を入れています。

「武将隊のSNSを見て来ました」「紹介された場所に行ってみました」という声を聞くたびに、活動が人々の心に届いていることを実感するといいます。

岡崎というまちを、人が伝えるということ

岡崎というまちを好きになるきっかけは、1冊のガイドブックではなく、人との出会いかもしれません。
パンフレットや展示では得られない生の交流が、岡崎を特別な場所に変えます。

グレート家康公「葵」武将隊は、そんなきっかけを届ける存在として、今日も岡崎城公園で来訪者を迎えています。