岩槻信治と岡崎の盆踊り唄

公開日:2017.08.01     "〇にナる" 岡崎まちものがたり
岩槻信治(いわつきのぶじ)さんは米や麦の品種改良に貢献した岡崎市の名誉市民です。米の神様として紹介されることの多い信治さんですが、実は民謡作家としても有名でした。雅号は三江(さんこう)。三江さんが作った歌を紹介します。
  • 25歳頃の信治さん

    25歳頃の信治さん

  • 安城農業技術センター「岩槻記念館」に展示されている千本系のイネ

    安城農業技術センター「岩槻記念館」に展示されている千本系のイネ

  • 研究記録を書き溜めた「紙屑籠」

    研究記録を書き溜めた「紙屑籠」

米の神様、岩槻信治さん
まずは岩槻信治さんについて説明しましょう。信治さんは明治22年、岡崎市中園町の旧家に生まれました。矢作中学校の前身、江西(こうせい)高等小学校に通い、安城農林学校を卒業。母校の江西高等小学校で教師を務めた後、安城農林学校の恩師である山崎延吉校長に誘われて、安城市池浦にあった県立農事試験場の種芸部で働きはじめます。この日から、信治さんは米の品種改良に打ち込みました。県下のあらゆる品種の米を集め、その特性を一つひとつ調べ、旭系、千本系という今のお米の先祖になる品種を作りました。愛知県のお米「あいちのかおり」は旭系のイネです。さらにイモチ病に強いイネ、県内自給率を高めるために酒米やもち米の品種改良にも取り組み、「米の神様」と呼ばれるようになりました。
  • 自筆の「三江歌謡集」

    自筆の「三江歌謡集」

  • ビクターレコードにも岩槻三江の名が!

    ビクターレコードにも岩槻三江の名が!

  • 稲武小唄の踊り方

    稲武小唄の踊り方

民謡作家、岩槻三江
各地の農業試験場を巡っていた信治さんの関心は、地域の歴史や文化にも向けられました。研究の合間を縫って和歌や俳句を詠み、研究記録をまとめた「紙屑籠」にも隙間を埋めるように小説や俳句、都々逸(どどいつ)などが書かれています。謡曲や三味線はプロ級の腕前で、芸者さんにも教えるほど。作詞作曲、振り付けもこなしてしまう信治さんには「村の盆踊り歌をぜひ!」と依頼が殺到しました。「三江歌謡集」と題名が付けられた記録帳には、大正14年(1925)から昭和11年(1936)までの11年間に作った盆踊り唄、小唄、田植え唄、茶摘み唄が綴られています。ほぼ毎月のように唄を作り、多い時は月4、5本。その数はなんと約170。神業としか思えません。

それでは、三江歌謡集を見てみましょう。最初に登場するのは大正14年5月に作られた旧足助町(現在の豊田市)の献穀田御田植唄。稲武の農業試験場に通っていた信治さんにとってここは中間地点でよく訪れた場所でした。信治さんの妻、よねの兄弟も住んでいたので馴染みの土地だったのでしょう。

昭和5年11月21日には岩津置屋組合から依頼されて「岩津小唄」を作ります。翌6年と10年にはNHK名古屋放送局のラジオで紹介されました。

♪岩津よいとこ一度はお出で 月に一度は天神様へ 二十五日を忘れずに
 春のながめは村積山よ 風がくすぐりゃにっこり笑うて やさしい女神の片えくぼ
 夏の涼みは天神橋よ 水にちらちらあかしが浮けば どこで吹くやら笛の音
 秋の茸狩りや八ツ木と岩津 連れて行かんせ真福寺まで お仁王様でも二人づれ
 冬の古城跡に凩(こがらし)吹けば 夢は昔の大樹寺でらの 鐘の音色もなつかしや
 岩津よいとこ姫松小松 君を松山只(ただ)青々と 愚痴も言わずにしほらしや
 ※原文ママ抜粋

岩津小唄の評判は大変良く、「この作品から民謡作家として花柳界に認められた心地がする」と、信治自身も「三江歌謡集」の片隅に記しています。民謡作家、岩槻三江の誕生です。

唄づくりの範囲は岡崎市内だけでなく、碧海郡、知多郡、額田郡、北設楽郡、西加茂郡、豊川市、豊橋市、宝飯郡、渥美郡、幡豆郡…ととにかく幅広い!三重県や静岡県、宮崎県、福島県の歌まで手掛けました。歌詞にはその土地の歴史や伝説、風景、名所旧跡などを織り込み、郷土色豊かに仕上げるのが三江流。地域の宝を拾い上げるのが抜群に上手い人でした。
  • 本宿音頭の譜面

    本宿音頭の譜面

  • 本宿音頭の歌詞

    本宿音頭の歌詞

  • 本宿駅前の看板

    本宿駅前の看板

  •  流線型の観光バス、レオ号(新箱根ドライヴウエーのパンフレットより抜粋)

    流線型の観光バス、レオ号(新箱根ドライヴウエーのパンフレットより抜粋)

  •  旅館梅忠(うめちゅう)

    旅館梅忠(うめちゅう)

  • 学区民総出の運動会での本宿音頭の様子

    学区民総出の運動会での本宿音頭の様子

  • 本宿音頭の復刻CD

    本宿音頭の復刻CD

今も歌い継がれる本宿音頭
昭和11年8月に作った香嵐渓音頭を最後に、三江歌謡集は白紙のページを残したまま終わっています。日中戦争勃発前で、娯楽や興業が制限されるようになったことが理由でした。三江が作った盆踊り唄や小唄も次第に忘れられていきましたが、なかには今も歌い継がれている唄があります。その一つが本宿音頭です。

昭和8年に岡崎市本宿町と蒲郡市を結ぶ鉢地坂トンネルが完成し、県道は「新箱根観光道路」と命名されました。この道路を流線型の観光バス「レオ号」が走り、本宿駅は観光客で賑わうようになります。昭和10年7月に作られた本宿音頭には、「新箱根」「軽井沢」「流線型」などの言葉が盛り込まれ、レオ号の車内でも本宿音頭が流れました。本宿の旅館や料亭では、宴会があると必ず本宿音頭が歌われたそうです。

♪ハァ~いきな本宿サラリトナ(ヨイショ)
 いきな本宿流線型よ ちょいとドライブ新箱根
 ソレ ヨイヨイ ヨイヤサノ サラリトナ

 鉢地トンネル南へぬけりゃ 海が見えますひろびろと
 ソレ ヨイヨイ ヨイヤサノ サラリトナ

 ちょいとモダンなリュックサック姿 いづれキャンプかハイキング
 ソレ ヨイヨイ ヨイヤサノ サラリトナ

 暑さ知らずの三河の屋根を だれが呼んだか軽井沢
 ソレ ヨイヨイ ヨイヤサノ サラリトナ
 ※原文ママ抜粋

歌詞は1番から11番までありました。本宿町の旅館梅忠では、9番の「酒は富の代 溜りは万十」を「酒は梅忠 溜りは万十」と替え歌にして歌っていたそうです。万十は本宿町で製造されていたアイチ醤油の屋号。富の代は本宿町の酒蔵で造られていた酒の銘柄です。

地元の人に親しまれた本宿音頭は7月の祇園祭や8月の町内盆踊りで踊られています。本宿小学校で5月に開催される小学校・学区区民合同運動会でも数年前から本宿音頭が取り入れられ、参加者全員が踊りで盛り上がります。
  •  龍谷踊唄(龍ヶ谷踊唄)

    龍谷踊唄(龍ヶ谷踊唄)

  • 竜谷音頭

    竜谷音頭

50年ぶりに復刻した龍ヶ谷踊唄
昭和6年4月、村長の浅井余市、助役の山本吉之助、鈴木耕三郎の3氏により依頼されて作った「龍ヶ谷踊唄」が、平成27年に地元の軽音楽バンド「ヒマナシスターズ」と踊りグループ「竜舞会」によって現代風にアレンジされて復刻しました。「竜谷音頭」と名付けられたこの踊りは、8月上旬に竜谷小学校で行われる盆踊りで披露されています。

平成29年7月に掲載した、桑谷キャンプ場から足を延ばしていける三丈ヶ滝は、龍ヶ谷踊唄に登場する名所のひとつ。実は岡崎まちものがたり作成時にはこの滝を知る人はほとんどいませんでした。本当に滝があるのだろうかと編集委員有志が確かめにいくと、なかなか味わい深い滝だったことから、あらたに看板を作ることになりました。その土地の素晴らしいところに目を付け、光を当てた龍ヶ谷踊唄の歌詞。信治さんも喜んでいるかもしれません。

♪龍ヶ谷踊りはしなよいおどり 女子供も出ておどる
 村の自慢は大久保様よ 今も菩提の鐘がなる
 霞まとふて綿帽子かぶり いきな姿よ桑谷山
 こぶし振り上げ可愛や蕨 山のよこつら春の風
 青葉しげれば廣忠寺に 昼もなくかやほととぎす
 風はどこから三丈ヶ滝の 暑さ知らずの渓間から
 ※原文ママ抜粋 

 

おまけの一曲、ハチミツ小唄
三江歌謡集に収集された唄の中で気になったのは「ハチミツ小唄」。昭和8年、碧海郡の養蜂組合から依頼されたそうで、これまでの盆踊り唄にはない胸がキュンとする言葉が散りばめられています。原曲を聴いてみたいものです。

♪きのう菜の花 今日またれんげ
 蜜をしとうて 日もすがら
 蜂の乙女は 働きざかり
 恋の碧海 花ざかり

 そっと接吻(くちづけ) あの移り香が
 忘れられよか 蜂蜜の
 甘いなさけを グラスの中に
 わたしや見つめて おるわいな
○参考文献
「三江歌謡集」/作:岩槻三江
「三江 文化する郷土」/編者:吉地昌一/発行:財団法人岩槻技師業績顕彰会
「おもかげ」/発行:財団法人岩槻技師業績顕彰会
「岡崎の人物史」/編集:「岡崎の人物史」編集委員会
「新編岡崎市史」/発行:新編岡崎市史編纂委員会
○取材協力
愛知県農業総合試験場 作物研究部水田利用研究室
○お知らせ
本宿音頭
■祇園祭 7月最終日曜日
■町内盆踊り  8月最終日曜日(今年は8月27日、場所は冨田病院駐車場)
竜谷音頭
■町内盆踊り  8月1週目の日曜日(今年は8月6日、場所は竜谷小学校運動場)
〇ライター:宮本真理子
愛知県尾張旭市出身。結婚を機に知立市に住みましたが、行きつけの店は岡崎に集中しています。好きなセレクトショップも美容院も和菓子屋も、両親が親しくしている眼科も岡崎。仕事関係なく、よく出没しています。